オープンソースから学んだ10の教訓–テクノロジー以外でも役立つ人生の知恵
今回は「オープンソースから学んだ10の教訓–テクノロジー以外でも役立つ人生の知恵」についてご紹介します。
関連ワード (CIO/経営等) についても参考にしながら、ぜひ本記事について議論していってくださいね。
本記事は、ZDNet Japan様で掲載されている内容を参考にしておりますので、より詳しく内容を知りたい方は、ページ下の元記事リンクより参照ください。
筆者は1999年からオープンソースソフトウェアに携わり、それについて執筆してきたが、その経験は長い旅のようだった。小さな集団の一員のように感じていた初期の頃から、世界の改革を支援する大規模な運動に参加していることを認識したときまで、その旅の(ほぼ)すべての瞬間を楽しんできた。
筆者がオープンソース環境に参加して学んだ教訓は、テクノロジーに関連したものだと思われるかもしれない。しかし、この旅で学んだ多くのことは、人生のほかの側面にも影響を及ぼしている。
本記事では、それらの教訓を紹介したいと思う。
これは筆者が小学校で学んだ教訓だが、オープンソースソフトウェアを使用すると、毎回のようにその正しさを実感する。共有することは、オープンソースの根幹を成している。
共有がなければ、Linuxのようなオープンソースプロジェクトは存在しなかっただろう。Linus Torvalds氏は、Linuxを個人的なプロジェクトとして開発したが、そのテクノロジーを世界の人々と共有することの価値にすぐ気づいた。その後に起きたことは、説明するまでもないだろう。
オープンソース開発者について言えることが1つあるとすれば、彼らは開発対象のプロジェクトに情熱を注いでいる。情熱は絶対に必要だ。それがなければ、それらのプロジェクトは存在しなかったかもしれない。
オープンソース開発者の多くは自らの作業の対価を受け取っていないため、生産作業を続けるには、プロジェクトに対する情熱が不可欠だ。この教訓は、筆者の人生、特に作家としてのキャリアに強い影響を及ぼしている。
文筆業は非常に浮き沈みが激しい。停滞期には、自分の仕事にどれだけ強い情熱を持っているのかを思い出す必要がある。それだけの情熱がなければ、ほとんどのアーティストは創作に取り組まないだろう。幸い、オープンソーステクノロジーに携わっていることで、筆者は情熱を持つことの価値を常に意識できている。
Linuxはマーケティングをほとんど行わないが(全くやらないと言ってもいいほどだ)、それでも存続している。筆者は何年も前から、この問題について批判している。そして、CanonicalやSUSE、Red Hatなどの企業は自社製品をもっと幅広いユーザー層にマーケティングすべきだと主張してきた。
スーパーボウルで「Ubuntu」のコマーシャルが流れているところを想像してみてほしい。もちろん、それは素晴らしいことだが、オープンソースプロジェクトが使える予算を考えると、ほぼ考えられないことである。
しかし、マーケティングがほとんど行われていないにもかかわらず、オープンソーステクノロジーは成功している。もちろん、それらの企業に大規模なマーケティングキャンペーンを展開できる資金があれば、状況は飛躍的に改善するだろう。しかし、マーケティングは成功に不可欠なものではない。その理由は次の項目で説明する。
オープンソーステクノロジーがこれほど成功した理由の1つは、口コミだ。筆者は次のように考えている。友人や家族から薦められると、マーケティングのターゲットにされた場合に比べて、何かを試す可能性がはるかに高くなる。
私たちは企業よりも人の方をはるかに強く信頼するので、口コミは大きな意味を持つ。物書きとしての経験から言うと、誰かが筆者の書籍を友人や家族に薦めてくれると、アルゴリズムに薦められた場合よりも、その人が筆者の書籍を試す可能性ははるかに高くなる。筆者がフィクション作家でいられるのは、口コミのおかげだ。口コミは、Linuxの成長の大きな原動力である。