Debian Linux誕生から30年、その世界への貢献を改めて振り返る
今回は「Debian Linux誕生から30年、その世界への貢献を改めて振り返る」についてご紹介します。
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本記事は、ZDNet Japan様で掲載されている内容を参考にしておりますので、より詳しく内容を知りたい方は、ページ下の元記事リンクより参照ください。
1993年を振り返ってみよう。当時の米大統領はBill Clinton氏で、映画「ジュラシック・パーク」のチケットが飛ぶように売れており、UB40による「好きにならずにいられない」のカバーが全米ビルボードチャートの1位を占めていた。またこの1993年は、仏パデュー大学の学生だったIan Murdock氏が、Usenetのニュースグループ「comp.os.linux.development」に「Debian Linux Release」呼ばれる新しいディストリビューションを作ったと投稿した年でもある。
Murdock氏はその記事で、「これは基本的に最初から作り直したリリースで、単に『SLS』(Softlanding Linux System)に変更を加えて、『新しいリリース』だと言っているわけではない。私はSLSを動かしてみて、その多くに不満を感じ、このリリースを作ることにした。SLSに多くの変更を加えてみたあとに、最初からやり直した方が楽だと判断したからだ」と述べている。
Debianという名前は、Murdock氏の当時のガールフレンドの名前であるDebraと、彼自身のファーストネームを組み合わせたものだった。最新のDebianのリリースは、8月21日に「Debian 12」に到達した。このバージョンのコードネームである「Bookworm」は「トイ・ストーリー」のキャラクターにちなんだものだ。
当時は今とは時代が違った。「Git」もなければ「Red Hat Linux」も存在しておらず、IBMもまだLinuxをサポートしていなかった。Linuxはまだ趣味人のOSで、使っていたのは主に学生やコンピューターが専門の研究者だった。その頃の筆者は、1991年11月の「Linux 0.11」からLinuxを使っていたのだが、それ以前も10年以上UNIXを使っていた。
Murdock氏は、誰もがソースコードをftpで入手し、自分でコンパイルして、ビルドして、Linuxをブートできるわけではないことを知っていた。同氏は、初期のディストリビューション(特にSLS)はあまり出来がよくないと考え、「ユーザーが常に面倒を見ていなくてもインストール可能で、その間にもっと別のことができる」ような、より洗練されたLinuxディストリビューションとしてDebianを作り始めた。Murdock氏は、「DebianはインターネットにアクセスできないユーザーのLinux生活を楽にしてくれるはずだ」と述べていた。
Debianは、簡単にインストール・デプロイできることを優先した最初のLinuxディストリビューションだった。同時に、当初は、あらゆる開発者やユーザーが自分の成果をコントリビュートできる、唯一のオープンなディストリビューションでもあった。そして今日でも、Debianは最も重要なコミュニティー主導のLinuxディストリビューションだと言っていいだろう。「Red Hat Enterprise Linux」(RHEL)や「Ubuntu」、「SUSE Linux Enterprise」(SLE)などのほかの主要なディストリビューションや、それらのコミュニティーブランチである「Fedora」や「openSUSE」は、どれも直接、間接に営利企業と結びついている。