生産地も分かる“ニコンのデジタル一眼史” :荻窪圭のデジカメレビュープラス(1/3 ページ)
今回は「生産地も分かる“ニコンのデジタル一眼史” :荻窪圭のデジカメレビュープラス(1/3 ページ)」についてご紹介します。
関連ワード (サイズ、国内生産、進化等) についても参考にしながら、ぜひ本記事について議論していってくださいね。
本記事は、It Media News様で掲載されている内容を参考にしておりますので、より詳しく内容を知りたい方は、ページ下の元記事リンクより参照ください。
先日、ニコンが一眼レフの国内生産を止める、と。
これ、2020年秋に公表されていたことで当時記事にもなっていたので、「え、なんでまた記事に」感があるのだが、今回のニュースが流れるとSNSなどでは「ニコンが一眼レフ生産止めるのか」って早とちりした人とか「日本製じゃないなら買わない」って言い出す人までいた。
そもそもニコンのデジタル一眼がどこで作られてるか、製品を見ると書いてあるけど見なくても。
すでに、D1桁シリーズのフラッグシップモデル以外はタイで生産してるのだ。このリストで現行モデルは「D6」だけなので、ほぼタイ工場で生産してると思っていい。
ミラーレス一眼のZは当初は日本での生産だったが今はタイ工場での生産だ。
この機会にニコンのカメラの歴史と生産地を振り返ってみたい。
D1が出たときは衝撃だった
ニコンが最初にデジタル一眼レフを出したのは1995年。富士フイルムとの共同開発で、ニコンは「E2」、富士フイルムは「FUJIX DS-505」。1998年までに数機種発売されたその特徴は「縮小光学系」を採用したことだった。
センサーサイズはなんと3分の2インチと当時のハイエンドコンパクトデジカメのサイズ。ただ、センサーサイズが小さくても50mmのレンズを付けたら50mmの画角で撮れるようレンズ群を持っていた(だから分厚かった)。
つまり、画質面ではコンパクトデジカメと大差なかったわけで、当時、DS-505Aを少し使わせてもらったが、ニコンのFマウントレンズが使える意外にメリットは感じないなあというレベルなのだった。
そのイメージを一新したのが1999年。歴史に残るデジタル一眼レフ「D1」の登場である。
価格は希望小売価格(当時はまだオープン価格じゃなかったのだ)で65万円と、めちゃ安かった。当時、APS-Cサイズのセンサーを持つ本格的なデジタル一眼レフといえばキヤノンの「D2000」だったがあれは198万円だったから、ハイエンドの本格的なデジタル一眼レフが65万円って画期的だったのだ。
ボディの作りも同社のフラッグシップカメラ「F5」をベースにしており、フラッグシップ機らしいしっかりしたもので操作もしやすく、デジタル一眼レフの未来はここにある、と、1999年のニコンの製品発表会で参考出品されていたその姿を見たときに思ったのである。
そして予約して初日に購入。
ただ、デジタルカメラ黎明期であるからして、1つ妙な個性を持っていた。出力するJPEG画像の色空間がsRGBでもAdobeRGBでもなく、NTSCだったのである。ビデオ出力を考えていたのだろう。
コントラストや色が不自然ってことで、JPEGで撮った画像はNTSCからsRGBにプロファイル変換して使った記憶がある。
でも世の中はデジタル写真はPC(sRGBのモニター)で処理する方向に動いており、ちょっと見誤ったんだと思う。
その次に出た「D100」はF5に対する「F100」的な位置付けの弟分で、価格もぐっと下がり(それでも30万円だったけど)ちゃんとsRGBで記録するようになった。2002年発売である。
画素数も600万画素に増え、今のデジタル一眼レフのベースとなるようなカメラだった。これはよく使ったものである。
この頃のデジタルカメラは新製品が出るたびにコストパフォーマンスが上がるぐんぐん進化するフェーズにいたので「いつ何を買ったらいいの?」と聞かれると困るレベルだったのだ。
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