ウクライナ軍に入隊したアジャイルコーチが、さまざまなメソッドを駆使して中隊長としてのリーダーシップを実現した話(中編)
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本記事は、Publickey様で掲載されている内容を参考にしておりますので、より詳しく内容を知りたい方は、ページ下の元記事リンクより参照ください。
アジャイル開発の代表的な方法論であるスクラムをテーマに、都内で1月に開催されたイベント「Regional Scrum Gathering Tokyo」で、経験豊富なアジャイル開発のエキスパートとしてウクライナを拠点にアジャイルコンサルタントをしていたドミトロ・ヤーマク(Dmytro Yarmak)氏が、ロシア軍の侵攻後にウクライナ軍に入隊し、中隊長としてリーダーシップを発揮するためにさまざまなメソッドを駆使して軍隊の組織を変革していった経験を語ったセッション「A True Story of Agile Coaching in Ukrainian Armed Forces」が行われました。
軍隊という、企業とは異なる構造や目的を備えた組織で、しかも多くの民間人が入隊した直後の混沌とした状態において、アジャイルに関連したメソッドが機能していく様子は、ビジネスやシステム開発でのアジャイルの成功談とは異なる、ある意味で刺激的なストーリーです。
と同時に、ウクライナで戦っている人たちの中には、戦争が始まるまでは私たちと同じIT業界での日常を送っていた私たちと同じような人たちがいるのだ、ということを痛感させる内容にもなっています。
本記事では、そのセッションの内容をダイジェストで紹介します。本記事は前編、中編、後編の3つに分かれています。いまお読みの記事は中編です。
指揮官「30分以内に爆発物の訓練者を2人選抜せよ」
さて、この時期に一体なにがどう混乱していたのか、具体的に説明しましょう。
これは指揮官から私が受け取ったメッセージの例です。
1つ目の例では、朝の6時30分に「爆発物専門の訓練を受ける兵士を2名、30分後に選出せよ」とメッセージが来ています。
朝の6時30分には、私の部下たちの半分は当直で、半分は寝ています。そうした状況で30分以内に適切な2人を選抜することができると思いますか?
私がそう指揮官に尋ねると、指揮官は「ディマ、簡単なことさ。私は他の中隊長たちからも同じ質問をもらったことがある。だからこうすればいい。まず、隊の名簿を見る。そこから2つ名前を選んで、私に報告する。それだけだ」と答えました。
私は、彼の言い分は理解したつもりですが、しかしそんな無責任なことを自分でしたくはありませんでした。ですから、これは本当に困難な作業でした。
結局私は2人を選抜するのに1日かかりました。途中で、この2つのポジションを巡ってメンバーの3人がケンカを始めてしまいましたが、最終的に選抜された2人はいまでもそのポジションで満足して仕事をしてくれています。
指揮官「今すぐ各方兵隊から1名を選抜せよ」
指揮官からの別のメッセージには「今すぐ、各砲兵隊から1名ずつ、医療教官(医学教育は除く)候補を選抜せよ」というのもありました。
軍隊でよくあるのが、今すぐ実行せよ、ということです。彼らは、私が全て前もって準備できていると思っているのです。
しかしこの選抜にも私は半日を費やしました。指揮官は怒っていましたが、戦場では医療教官は司令官に次ぐ第2の標的となります。ですから、それでもやってくれる人を見つけなければならなかったのです。
指揮官からの3つ目のメッセージの例は「この場所から夜のうちに半日で移動する。午前4時には準備せよ」です。移動もよくあることでした。
こんな風に、この時期はとても混沌としていました。
どうしたら受け身の状況を変えられるか?
そこで私は、つねに受け身で対応せざるを得なかった状況を変え、先を見越して対応できるように改善したいと考えました。
どうしたらリアクティブな状況から、プロアクティブなことを増やせるかを考え始めました。
私は何人かの指揮官に相談しました。彼らの返事は「ディマ、君に必要なのは命令と統制だけだ」でした。
しかし「私と会ったこともない、あちこちに分散している150人もの兵士に、一体どうやって命令し統制できるのでしょう?」と質問しても、彼らから答えは得られませんでした。
ここで、スクラムトレーナーのウィレム・バーマアク(Willem Vermaak)氏による、私の好きな言葉を引用しましょう。彼は「命令と統制のあいだには、つねに選択肢が存在する」と説明しています。
そして私自身の経験に応じて選択肢は変わってくると私は考えており、つねに正解となるような銀の弾丸はありません。
そこで私は自分の経験に応じて、分隊、小隊、中隊の3つのあらゆるレベルでリーダーシップを発揮するために、次のような選択をしました。
その3つとは、「透明性の実現」(Providing Clarity)、「心理的安全性の構築」(Creating Psychologically Safe Environment)、「得意分野を伸ばす」(Raising Competence)です。
タスクボードによる情報の透明性に着手
まず、いつ誰が、どこで何をしているのか、どんな作業があるのか分からない混乱状態に手を付けました。
そこで簡単なタスクボードを作りました。もちろん、これは私たちIT技術者にとっては簡単なことです。けれど、私の部隊には建設労働者、鉱山労働者、運転手といったIT技術者ではない人たちもいるので、彼らのことも考えて作らなければなりませんでした。
これを見た誰もが、このカートは移動できるな、といったことが分かります。そうしたら、すでに誰かが移動にとりかかっているではありませんか!
このように、これは私たちにとって革命的なできごとでした。
こうして私たちは、誰が何をしているのか、何をすべきか、期限はいつまでなのか、といった分隊のタスクについての透明性を生み出したのです。
特にこのタスクボードで良かったことは、自分以外の誰が何を、どのように行っているかが分かったことでした。そこで次に私たちは知識を共有するためのナレッジベースの構築を開始したのです。
タスクボードの導入は拡大し、大隊や旅団にも
こうして私たちの取り組みがうまく行っていると、軍隊内でウワサになりはじめたとき、5個の中隊として600人を統括する別の大隊(Battalion)から相談を受けたのです。
彼らの悩みは、兵士からの休暇申請が大混乱していることでした。兵士は2カ月ごとに1日か2日の休暇をもらえるのですが、それ以外にもそれぞれの兵士は自分の娘の誕生日や母親の誕生日に休暇を取りたいと申請を出してきます。
大隊ではそうした休暇申請の管理ができておらず、誰がいつ休暇に入るのか? いつ戻ってくるのか? 誰も把握できていない状態だったのです。
必要なのは申請と承認をきちんと管理し、共有することです。ということで私は同じようにタスクボードを作って管理できるようにしました。
こうして私たちの取り組みが成功している話がさらに軍隊内で広まりました。
今度は3000人の兵士を率いる旅団(Brigade)から「ディマ、私たちのところでも上手くやりたいのだが」と連絡が来て、同じようにタスクボードで申請や承認を共有するようにしました。
誰もが共有すべき情報を見えるようにしていく
タスクボード以外に私たちが取り組んだのは「情報ラジエーター」です(新野注:情報ラジエーターとはアジャイル開発で使われる用語で、タスクボードやバーンダウンチャートなどの共有すべき大事な情報を誰もが見えるようにするツールのこと)
というのも、将校たちには、「より多くの情報を保持することが、より大きな権力を持つことになる」、というバイアスがあります。
これが組織のボトルネックになっているため、それを取り除くために可能な限り多くの情報を共有したかったのです。
しかも軍には定期的に報告すべきこともたくさんありました。例えば弾薬の数、ヘルメットの不足数、暗視ゴーグルの数などです。そして報告をまとめるためにはたくさんの担当者に何度も電話をする必要がありました。
これに対応するため、私たちは巨大な一覧表を作りました。すると半日かかっていた報告書の作成は、わずか10分で済むようになったのです。
こうした情報ラジエーターに対するフィードバックループを速く回すため1日に2回、15分のスタンドアップミーティングを朝6時と夜9時に設定しました。
いちばん大変な時期には、デモに対する15分の振り返りも毎日行っていて、この2週間程度の時期にはできるだけ小隊を訪問して直接会って会話をするようにしていました。
この時期、私は自分の電話番号を兵士たちに公開して、24時間いつでも電話をかけてきていいことにしました。これは非常に効果的でした。
というのも、これで兵士は何を知らないのか?なぜ知らないのか、が分かるからです。
電話をしてきた兵士と話した後に、私はその兵士の小隊長に電話をし、あなたの兵士が質問してきたことについて、その小隊長は答えを知っているかどうか、答えられないならばなぜ答えられないのか、などを聞いて、改善していくのです。
これを繰り返していくことで、私にはほとんど電話がかかってこなくなりました。
説明があれば兵士たちは迅速かつ高品質な作業をする
情報の透明性に関する最後の要素は、適切なコミュニケーションです。多くの場合、命令はその合理的な説明なく伝達されます。これはウクライナ軍における大きな問題と言えます。
しかしある程度時間が経過した現在、少しずつ変化してきてはいます。合理的な説明があるほうが、兵士たちはより迅速で、より良い品質で作業を行えることが理解されはじめています。
あらゆるレベルでリーダーシップを発揮したいのであれば、全員がそのコンテキストを理解していなければなりません。これが、私が情報の透明性に取り組んだ理由なのです。
軍隊でも心理的安全性の構築に取り組む
次に私が取り組んだのが、心理的安全性でした。
心理的安全性の有効性を示した「プロジェクト アリストテレス」についてご存じの方は? いらっしゃるようですね。
プロジェクト アリストテレスは、Googleが10年以上前に行った、高いパフォーマンスを発揮するチームについての調査プロジェクトです。高いパフォーマンスを発揮するチームにとって、教育レベルや性別の分布、リモートワークなどさまざまな要素のなかで重要だったのは、心理的安全性であることを発見しました。
チームに心理的安全性がある状態とは、チームメンバーが誰もあなたを嘲笑したり責めたりしないことをそれぞれのメンバーが知っていて、間違いを犯すことを恐れない状態である、といったものです。
そして、あらゆるレベルでリーダーシップを発揮したいのであれば、兵士の心理的安全性を確保し、彼らが責任を取ることや失敗することを恐れず、指揮官に求められたことを実行することに集中できるようにすべきなのです。
しかし軍隊で心理的安全性のある状態を作るのは容易ではありません。なぜなら、間違いを犯したときの代償があまりにも大きいためです。
しかし私にとっては、2つの理由で心理的安全性を構築するのは容易でした。
1つ目の理由は私は職業軍人ではないおかげで軍の知識もバイアスもなく、ITやビジネスからの視点で物事を見ることができたためです。
2つ目の理由は、私は別に将軍になりたいわけではなく、軍での任務が終われば娘のところへ帰るつもりだったためです。ここでキャリアを積むつもりはなかったので、スタッフや部下に配慮することはあっても、自分のキャリアについて気にすることなく物事に取り組めました。
何かが起きたとき、そこから学ぶことにフォーカスする
そういうわけで、私は心理的安全性に取り組みました。
ここでも、私の部隊にいる建設労働者、鉱山労働者、運転手といったIT技術者ではない人たちに心理的安全性とは何かを説明することは容易ではありませんでした。
そこで、私は彼らにこう話しました。
「何かが起きたとしましょう。それは、いい出来事かもしれないし、そうではないかもしれません。いずれにせよ、私たちはそこから何かを学ぶことができます。何かが起きたとき、まず自分にそのことを言い聞かせて、そこから学ぶことに集中しましょう」
最初の反応は面白いものでした。「ああ、分かるよ。学習するということは、そいつを締め上げて分からせるんだ」と返ってきました。
だから私は「いやいや、そうじゃない。責めるのはなしだ。誰かが起こした出来事は、別の誰かにも起こるはずだ。だから誰かに責任を取らせてもだめなんだよ」と言いました。
そうして心理的安全性に取り組み始めたものの、何かあれば私の指揮官は「君がそこに行って、失敗した奴をしかり飛ばしてこい!」と言ってくるので、取り組みは思ったほど簡単ではありませんでした。
軍隊にもアジャイルにおけるレトロスペクティブがあった
私を助けてくれたのは、同僚の女性が教えてくれた「アフターアクションレビュー」(After-Action Review)という小冊子の存在です。この小冊子は1990年代に発行されたものでした。
アフターアクションレビューとは、アジャイルでの「レトロスペクティブ」のようなもので、スクラムやアジャイルが登場するずっと前、1971年に最初に登場しました。
米陸軍参謀総長のゴードン・サリバン(Godon R. Sullivan)将軍は、「米陸軍における過去20年間で最も重要な革新とは、アフターアクションレビューである」と述べています。
軍隊にもこういうものがある、単に命令と指揮だけではないことに、私は大変興味をひかれました。私は正しい方向に向かっているのだと思いました。
そこで米陸軍についてさらに調査をしたところ、「OPFOR」(Opposing force)部隊というものがあることを見つけました。
OPFORは米陸軍部隊の最高の部隊の1つで、他の部隊を訓練するために敵部隊として活動します。通常は比較的小規模な部隊として構成され、武器や装備も貧弱なものとされます。
それでも戦いに次ぐ戦いの中で彼らは勝ち続けるのです。しかもメンバーは固定されておらず、毎年メンバーの30%程度が入れ替わります。
彼らの一貫した強さは、文化として受け継がれているものであり、全ての米軍が行っているアフターアクションレビューのやり方にあるのです。
彼らのアフターアクションレビューは他の部隊とはどう違っているのでしょうか?
行動する前の心理的プロセスに注目する
違いの1つは、出来事ではなく考え方を修正することを重視する、という点でした。
例を挙げましょう。私がある部隊の訓練をしたときのことです。この部隊はインフラ施設を警備しています。通常、この部隊は2つに分かれて、警備任務と休憩を交互に行っていました。
敵からの攻撃を想定した訓練では、警備任務中の隊が休憩中の隊を呼び出したのですが、このとき2人の兵士がヘルメットをかぶらずにやってきたのです。
訓練後のアフターアクションレビューでは、この点を指摘された2人が次は必ずヘルメットを持ってくると発言しました。
これは改善に見えますが、ではなぜ2人がヘルメットを持ってこなかったのか聞いてみると、ヘルメットは重くて持って行きたくなかったからテントの中に置いてきた、と言うのです。ですから重要な点は、こうした考えを正すところにあります。
このような行動する以前の心理プロセスにはあまり焦点が当てられません。しかしこれを重視することが、OPFORがアフターアクションレビューで行っていることでした。
≫後編に続く。後編では軍隊における心理的安全性の構築のために何をしたのかが語られます。そして家族とも再開を果たします。